我如古地下放送局

沖縄のタイポップDJ。平日リーマン。G-shelterスタッフ毎日我如古(だった)

Disry - ONE MAN LIVE "VERSE DAY" レポート「踊らせない時間がダンスを加速させる」

いつでもこんばんはハイナです。
 
ついに公開されたDisry ワンマンライブ「verse day」の動画を見ながら、当日参加した時にグッときたポイントのメモがあったことを思い出したので、記事エントリーします。
 
 

【違和感の払拭】

久しぶりにめっちゃ踊れるDisryのライブを大きな規模の会場で見られることが楽しみにしていました。しかし、実は、Disryの楽曲やリリックのモチーフとなっている「4th coast」こと四国地方にはほぼ行ったことがないことや、沖縄県内で活動しているアーティストの沖縄テーマ楽曲の多さに慣れすぎているせいで、沖縄で他の土地について全面に押し出すDisryのリリックについては飲み込めない部分があったものの、今回のでかいパーティーで長尺のライブのおかげでその違和感が払拭されたことが私にとっては大きな成果でした、行ってよかった。
 

【違和感の正体】

そもそも違和感を感じていたのは、ラッパーの地元モチーフに私がフォーカスしすぎていたためでした。
ラッパーがリアリティーを表現する時に地元をモチーフに含めることは(不可分ではあるものの)リアリティーのごく一部であって、個人の持つリアリティーというものは多様なので、その他の要素もまた持っているということ。
沖縄に生まれて今もたまたま沖縄に住んでいる私が、沖縄のモチーフに共感する欲望を抑えることで、ラッパー自身のストーリーを聞くことに集中できるじゃん!って気がつきました時間がかかりすぎた。
Disryのライブは20分前後の時間を見ることが多かったので、地元の歌(どこから来たのか?がテーマ)とセルフボースティング(今からどこに行こうとしているのか?)を表現する楽曲がメインとなることに起因して、過去-未来を直線的に捉えていたので、そのストーリーラインを沖縄で理解することに違和感を感じていたんだと思います。
しかし、今回は踊りにくい(踊らせずに聞かす)楽曲が多く含まれていたため、その直前以外の要素(葛藤、苦悩、疾病)が見えたおかげで、四国の要素が相対的に薄まり、より立体的なDisryのストーリーが見えるようになりました。
 
つまり、「Disryが四国の歌をよく歌ってる」ことに違和感を持つのは私の理解不足で、
「Disryはずっと一貫して、自分自身のことを歌っていた。四国はその一部」ってこと。
 

【踊らせない時間がダンスを加速させる】

流行のビートを取り入れて、ラップも含めて踊らせることに長けているDisryですが、踊らせることに特化するベースや、復唱がしやすいコーラスの楽曲が深夜2時のG+で機能したことは一つの功績だとして、自身のコンプレックスや疾患、内面の吐露を含んだ楽曲で踊れなくすることをショーに含めることができるのがこの夜の一つの到達点。
言葉やストーリーに重きを置いた踊れない楽曲でDisry自身のライフを理解させた後に、踊れる楽曲「Under pressure」をドロップすると、「今、under pressure/under pressure/跳ね除ける」の、プレッシャーの部分への理解がより深まり、あるいは観客自身が自分なりの「プレッシャー」に置き換える瞬間にもなったんではないでしょうか?
「under pressure」への理解が自分個人的に刺さることで、今までのDisryのライブ以上に激しくアガりました。
 

【日常の蓄積で非日常が熱狂】

ダンスさせることや熱狂させることに重きが置かれがちな深夜の20分前後のライブだけではなく、さまざまなモチーフが埋まっている詩とビートを連続的に演奏することで描かれるアーティストの等身大の生々しさと輝きにロックされました。
ブッキングから集客からアテンドから何から、めっちゃ大変なパーティー制作だったと思いますが、日常を吹っ飛ばすような大きな仕掛けが、日常(=等身大)そのものから生まれたものであることにとても感動した!!!
 

【おわりに】

当日は、フロアも飲みまくってるし私も飲んでいるので「やばかった」「めっちゃ楽しかった」「ホッツ」などLINEスタンプ程度の感想しか伝えられなかったので、当日の映像を見ながら思い出した感動をできるだけ丁寧に説明したいと思った次第です。
 
 
 
※上記のテキストがよくわかんなかったらできるだけわかるように説明するので、どっかで声かけてください>友人各位