我如古地下放送局

沖縄のタイポップDJ。平日リーマン。G-shelterスタッフ毎日我如古(だった)

メロウ

 速すぎることもなく、遅すぎるわけではなくて。体にリズムが満ち満ちているように感じるとき。

 はじめから、圧倒されているわけじゃないけれど、ある瞬間からふと「それ」に飲み込まれていることに気がついたとき。

 じんわりとメロディーが染み込んできて、自然と体が動き出してしまう、その時。





 まるで、静かな映画のエンドロールみたく。

 まるで、きれいな文庫本の最後の3ページみたく。

 まるで、あの娘がうつむいて少し笑うときみたく。




 僕の感情を流れている血液が、ゆっくりとしたビートを湛えながら、体中に「メロウ」をゆきわたらせるのです。






  そして。

 上がりすぎることなく、下がりすぎることなく、その緩やかな波形はどんどん曖昧になって、やがて僕は眠ります。


 おやすみなさい。

 

(2006/4/20)

【テキスト再発】レム睡眠 2006/11/15

いつでもこんばんわ、ハイナです。

 

mixi蜜月の時代に書いた日記や過去ブログの記事をたまーにこちらでサルベージします。
以前にmixiやブログで自分で書いたテキストを再掲載するときは【再発】ってつけます。

前回のエントリーのホラ編集は今回の再発エントリーの時に思いついた嘘描写mixで、追体験を振り切りたいがための手法だと思ってます。

 

🔽それでは、八年前のタイに住んでいたときのエントリーです🔽

 

レム睡眠 −2006年11月15日− mixi

タイ人の友人とぷらぷら近所にいたら、たまたま日本人の友人に出くわしたので、かるーく二人を紹介しあって、三分くらいタイ語で会話をしてバイバイしました。
 そして、またぷらぷらを再開しようと友人を見やると、彼の瞳孔がハートマークになっていて、顔面のすべての筋肉が弛緩していたので、僕はとってもあわててすぐに彼をタクシーに押し込み、一番近い総合病院に連れてゆきました。
 「救急患者です!一刻でも早い処置をお願いします!」
 というタイ語が判らないので、整理番号をもらって普通に列に並びました。 その間も彼は、先ほどの日本人の名前をつぶやき続けながら、前世と未 来の彼岸をさまよい続けているようでした。このまま彼を放っておいたら、内面宇宙から浮上することが非常に難しくなりそうな病状であることは、素人の僕に でも予想がつきます。しかし、長蛇の列はじりじりとしか進まず(バンコク名物の大渋滞)、僕は7165番の番号札を握り締めるばかりです。

 それからどれだけ時間が経ったのでしょうか、やがて彼は処置室に通され、なんて書いてあるかわからないタイ語の赤いランプが入り口ドアの上に灯 りました。 このような状況で僕がどうしたら良いのかわかりませんので、ベンチに浅く腰掛け、頭をがっくり落として傍から見ると祈っているようなポーズを とっていました。本当は「タイの看護婦の服ってデザインが良くないな」って考えていました。

 意外なくらいすぐに短い機械音が「ポゥン」となって、ふと見上げると、赤いランプは消灯しており医者らしき男性がマスクをとりながら僕に話しかけてきました。


医者:彼の付き添いかね?

僕:チャイカップ(そうです)

医者:非常に言い難いのだけれど、残念ながら、処置が遅すぎて彼は・・・

僕:アライナ?(なんですか)

医者:え、えっと、だから。彼は処置が遅れたせいで、デレデレ病は治らないいんだよ。

僕:チュアイプートチャチャー(ゆっくり喋ってください)
 
医者:んー、何?君なんなの?とにかく、安静にしてりゃー命に別状はないと思うから、適当な薬処方しておくから。駄目だったら残念だね。


 とかいうやり取りだったと思います。その後薬局で、嗅ぎタバコとビタミン飴とオロナインとレモングラスの種を処方してもらった後、(飴だけパクって)診断書とともに彼のバックに詰め込みました。

 そして、相変わらず前後不覚の彼を引きずって地下鉄に乗り込み、スラム街のはずれにある彼の家に向かいました。デレデレ病が発症している彼はなにやらつぶやき続けています。

 「遠い昔、俺は漁師だったんだ。ハイナも同じ船で働いていた。そしてあの彼女は毎日家で俺たちを待っていたんだ。大きい魚が獲れた日には、浜辺 でずっと飲み明かし、食べ明かしたものさ。 そうして、久年がたった今日という日。俺はまた彼女に出会ったんだ。そしてこれからは・・・」

 彼は、スタンダードなフャンタジー型前世因業説を語り始めています。デレデレ病があちこちに転移しはじめている証拠です。もし、このまま症状が 進むと、夢と現実の区別がつかなくなる「ぶらぶら病」になってしまいます。 僕はそれだけは避けたいと思いました。なぜなら「ぶらぶら病」の恐ろしさを誰 よりも痛感しているのが、このような日記を書いている僕自身なのですから。 そして、地下鉄の構内から地上に這い上がり、もはや顔の輪郭がハート型になっ ている彼を小脇に抱え、スラム街を突っ切りました。速く彼を家まで送って、全てを保護者に任せて僕は酒を飲みにいきたかったのです。
 スラム街は昼間だというのに薄暗く・・・・まぁそれ以外の記述は、タイのスラムに行った事ないので省略します。

 こうして、スラム街で2000文字分くらいの苦労もして、息も切れ切れで、遂に彼の家に着きました。 力いっぱいドアをたたきながら「ポーポーメーメ」と叫びました。
 すると間もなく、彼の父親が平日の昼間だというのにリラックスしきった様子で玄関から出てきました。

 「あぁ、前の日本人じゃん。どうしたの?」

 どうしたもこうしたもありません。彼の長男が、両親の投資した学費分の労苦を体験せぬまま、病床に臥してしまうところなのです。わかる限りのタイ語を駆使して、今日彼に起こったことを説明しました。 しかし、全てを聞き終わった後、余裕綽々で彼の父はこういいました。

 「うん、それ面白い話だね。だからそうやって重そうなハートマークを持ってきたの?」

 一瞬、たじろいだ僕が小脇に抱えた彼の様子を見ると、なんと遂に彼はハートマークそのものになってしまっていたのです。あぁ、なんということで しょう。もはや原型すら留めずに、シンプルなハートマークになってしまった彼。全ては僕の責任です。友人の日本人を紹介しなければ。救急という単語を知っ ていれば、ビタミンの飴を盗まなければ、スラム街をスムーズに通り向けていたら・・・もう少し速く家に届けていればれば、僕は知らん振りして酒飲んでいら れたのに。 さまざまな思いが交錯し、ぐわんぐわんになっている僕に彼の父が続けます。


「あぁ、ごめん。リアクション薄かった?まぁまぁ、面白い話だと思うよ。俺には関係ないけどね。長男さっき帰ってきちゃったのが、ちょっと残念だ ね。それで話がインパクトに欠けちゃったわな。  (家の奥に向かって)おーい、なんかお前の友達来てるぞ、ハートマークの日本人だけど。」

 すると間もなく、家の奥から、手元でハートマークになってしまったばかりのはずの彼が出てきました。

「ん、ハイナじゃん。どうしたん、重そうな荷物もって。」

 何もかも、混乱しきった僕は何も言わずにその場から去りました、徐々に歩を上げて、挙句、無我夢中で走りました。口の中では「ダッシュ!ダッシュ!ダッシュ!鼻をかむのはティッシュ!」という、実弟が5歳のときに作った歌を歌っていました。

 夕暮れが近づき、長距離の移動で疲れきった僕は、屋台のプラチックのいすに腰掛け、ビールを注文しました。 初めのグラス一杯を一気に飲み干し、少し落ち着いた気持ちで考えました。



 「なんだ、結局酒飲めたじゃん。ラッキー。やっぱ運動後のビールほどうまいものはないね。」



 と、当初の目的を無事に果たした僕は、ほろ酔いのステップで家路に着きました。






 そして、持ち帰ったハートマークは枕にして眠っています。




 その後、彼も僕も元気です。

SATURDAY NIGHT ZOMBIES

いつでもこんばんはハイナです。

今日は、私が30歳になった夜に過ぎていった景色について・・

 

第一部 G-shelter Zombie Night

私の30歳の誕生日となる2014年8月17日に、G-shelterで「ゾンビナイト」というイベントを開催しました。
このイベントはフロアをゾンビ一色で染めたかったので、ゾンビメイクが上手ななみつんをお迎えし、DJ+映画トークで昨今話題に事欠かないゾンビについて、アレコレな角度で楽しめるって趣旨を通したかったので、ついては来場者の方にも気合いを入れていただこうとゾンビメイクの方のみ入場可能というめっちゃ強気なドレスコードを設けたのです(んが、それが見事にこけてしまったことは今後の教訓にするとして)充実の内容で楽しい夜になりました。
DJとして参加いただいたしゅうHATEさんとtakaSHI’Tさんのプレイもホラーでゾンビな楽曲の嵐で素晴らしかったのはもちろんなのですが、おすすめゾンビ映画トークの時間を設けて、プロジェクターでばっこんジャケ写をスクリーンに映しながら、3人でウィワイとゾンビ映画の話をしているときも凄くいい時間だったです。
普段、音楽関係の夜遊び場所で良く会う先輩方なのですが、ゆっくりとその場所にあるコト以外の話をする機会もなく、それぞれのゾンビ表象の見解を伺えるのは楽しいし、トークの合間にフロアからの同意の声が上がるのも気分がいいものでして、音楽ではない文化をめぐる声をサウンドシステムを通して聞けるのはフレッシュな体験。
客足こそ伸びなかったものの、音楽だけでは補いきれない文化ハングリーな我々の胃袋を満たしてくれるいいトライとなりました。

 

 

f:id:hainer:20141024205437j:plainZombie DJs



つって、イベント終了1時間前くらいからぼんやりと上記のようなイベントの振返りモードで余韻に浸り始めたところ。
エントランス付近で階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきたのです!

なんだなんだと思うよりも早く雪崩込んできたのは、タンクトップ×ホットパンツ×ゾンビメイクの女子四人組!!!!
(この衝撃の補足をすると、我々那覇の隅っこでわいわいと夜遊びしている我々は、アッパー系の20代前後女子ってあんまり会う機会がないです。)

 

ただただ驚いていたのですが、その女子チームは流れ込むなりそのままトイレにin!!! しばらく出てこないのです。


そーするとあれだ、フロアの雰囲気と自分らチームのバイブスが合わないことを相談しつつ、次の店のアタリをつけつつ、とりあえず洗面台を介しての自撮りをかましてさよーならー。っというパウダールームなトークをしているのかと空想してたのですが、何故かぞろぞろとフロアに復帰し、テキーラキメてグイグイと踊りだしました。(ありがとうゾンビ)

その一連の出来事を受け止めた我々DJチームは、ゾンビ四方山話を中断し慌ててテキーラを追加投入して戦線復帰。ちょうどタイミングよく脳みその形をしたバースデーケーキをいただき、さらに盛り上がるゾンビたち。
そしておもむろに大先輩のtakaSHI’Tさんが、「aaight ft.KOHH & Maria」と「ANARCHY/Shake Dat Ass ft.AISHA」をブッカマして、ギャルゾンビ4人組がぶんぶんケツ振りダンスをしていたときに、DJとダンスの体の中からクラブカルチャーが溢れ、皆で脳みそをむさぼり食べておりました。

第二部 Ku'damm


して、パーティは終わり。
ちゃっちゃと片付けをしてから、ナイスメイクでゾンビ化した小踊パン姫(仮名)と一緒に向かうは熱血社交場。
私が唯一通い続けているテクノ(等)イベント、クーダムのフリーエントランスパーティーを襲撃し、100名近くの人間どもを食い荒らしながらカラッポの俺ゾンビの腹に響くキックキックキックキック!を食らいながら感じながら「ゾンビメイクって悪目立ちするなー」と考えたり。照明係のキラキラ富山さんが挨拶もそこそこに、私の顔を指して笑ってたりしてました。ショック。

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そして、ドリンクカウンターで先ほどの美女ゾンビがナイスガイに治癒されている見るのも一興。私はトイレ前ですれ違った黒色ライター君(仮名)と、パン姫をつけて別の狩猟所を探して、再び国際通りに這い出てゾンビウォークをかましながらファミリーマートプレミアムモルツ接種。
すでに結構酔っぱらっている、ライター君を先導しつつ。「ルナティックローズ」に入店し、オーセンティックユタのバーテンから勧められたヤモリコークとかガジュマル焼酎を飲みながら、パン姫と人間時代の反省をしていたのですが、ライター君がトイレから戻ってないことに気がついて廊下のほうに目を向けてみると、なんと彼がドアをぶち破って逃げようとしているのです!
慌てて追いかけてみると、かれは勢い余って階段の下に転がり落ちておりアーメン。虫の息の彼をどのように処理しようかと困っていたところで、ナイスタイミングで黒澤さんから電話あって、これから帰るとのこと。
こりゃ幸いとライター君の状況を説明し彼の墓場(実家)まで送り届けてもらうことになりました。

 

第三部 どん亭前



「ルナティックローズ」から、グランドオリオン通り牧志公園までライター君だった”肉”を運んでいると、ゾンビ二人が人間を運搬している様子を
CLUB CLUTCH前のニーニーに揶揄われたりしつつ、なんとか安里十字路。しっかし、重くて重くてこまる彼の肉体に我々ゾンビの体もあちこちが引きちぎれてしまってもはやこれまで。

どん亭あたりで絶望していると、ピカーン! 私にいいアイデアが思い浮かんだのです。
私はおもむろにiPhoneを取り出し、youtubeMARVIN GAYE Whats Going Onを検索し音を鳴らしてみるとどうでしょう。
クロライター君の肉体が発光し、次の瞬間彼は生き返って歌い始めたのです。


母さん、母さん、
あなたは尽きることなく涙を流している。
兄弟よ、兄弟よ、
みんな遠くであまりに多くの命を落としている。
何か方法を見つけなくちゃならない。
今日ここに愛をもたらす方法を。

 

 




感動した小姫ゾンビと俺ゾンビは、その場に立ち尽くし
ライターの体に憑依したマービンゲイの歌声にただただ涙しておりました。

彼の復活に歓喜して

 

そして音楽のパワーに打ちのめされて。

 

どん亭前で。

 

 

すごく腹が減っていて。


 



そして、別の夜に旅立つ小姫とさよならし、
またしっかり自立歩行できるようになった平良くんに水を3リットルの与えて

 

私の30代最初の夜はフェードアウトしましたとさ。

 

 

 

 

追伸(というか、これがメイン情報)

という訳で、冥界の入り口となった「Zombie night」とハロウィンバージョンを10/31(金)にG-shelterで開催しますよ!みんなで魔界の扉を開けよう!!!

 

(((HALLOWEEN zombie !!)))

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10/31(金) 21:00〜 at G-shelter

1,000yen

【DJ’s】

takaSHI’T
KIM
しゅうHATE!!!
817

※ホラー映画トークバトルもあります

※今回はゾンビメイク縛りなどのドレスコードありませんが、ハロウィーン全般なコスプレの方には試験管ショットのサービスあります。

 

 

 

IZU YOUNG FESTIVAL 2014レポート

いつでもこんばんはハイナです。
何回目か分かりませんがブログで文章書くことにしました。
五日に一回の更新を目処にやれるだけ書いていきますというのも、結構前にIZU YOUNG FESTIVAL(以下IYF)なるものにいってきまして。テキスト化しながら昇華させないと澱になってしまうのでね。

 

IZU YOUNG FESTIVAL 2014にいってきた


2012年の秋にIYFに初参加してカンドーしたので(その様子はココに書きました)、チャンスがあれば行きたいなーと考える間に、jetstarのセール便が片道5400円で取れたのに、成田→新宿で移動するのに3100円ってなんなんすかね。

まぁ、それで前の日に東京入りして実家で寝て起きたのは午前6時前とかで、7時には渋谷にいたね。そんで初対面の女子とLINEでハチ公前で初めまして直後にレンタカーに乗り込んでますからね。楽しいったらない訳ですが口角アゲハ(仮名)さんと自己紹介しながら環七ドライビン(グ)して高円寺で傍若若美(仮名)さんをピックアップ。東京の秋の始まりの朝方ってなんでキモチイのかねーとか思いながら歌いながら、明大前で百色ショートカッ子(仮名)さんもピックアップして、高速道路のって国立へ。

最後に同級生の森(本名)をピックアップした頃には腹が減って吉野家朝定ってことで、ここで我々のチームがカッチリと仲間割れをしてしまいました。
ラーメンに海苔を入れる入れない派で議論は白熱し一触即発状態に。しかし、入れる派の私が入れない派のジャクミの朝定の海苔を取り上げることにより火種は取り除かれました。安心。

あれ、こんなどうでもいい序章を長々と書いているあたり。私の浮かれっぷりが出ていますね。秋口に東京→沼津のドライブするだけでもすんごいレジャー感。ありがとうIYF。


IYFについて


IYFについては、今年度からその成り立ちはこのブログで主催者本人が書いているので、会議中とか授業中とか暇なときに読んでおいてほしいのですが、このイベントは完全無料かつ合法的な手続きを踏まえてやっているタイプのイベントなので、経済的なリスクだけではなく各所への書類の手続きのやり取りや地域からの評判など気苦労+労力が絶えないことは間違いないし、公的資金(血税)が投入されるたぐいのイベントでもないのでわかりやすい実利がないわけですよ。
それでまた、オラが村の地域おこし!ってほどヤンキーな人達がガンガン地域性でぶち上がるタイプでもないし、実際出演しているアーティストは東京・関西ライブハウスを中心に活動しているかっこいいバンドだから、出演するにはめちゃめちゃハードル高いわけだし。伊豆の地域性を打ち出す音楽祭でもなく・・・という、まだカテゴライズしにくくって、でもシンプルに気分がすごくすごく良くなるイベントなんですね。

そんな説明しがたくって、でも参加してみるとすごくシンプルに楽しめるという時間空間メンツになっているので、私は身を以て体感しないとしゃーないなーと思って我如古から参加しました。

 


IYFに到着

 

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そんなこんなで、渋谷から考えると五時間くらいかけて沼津の会場に乗り込んだので、ayU tokiOのライブにはギリギリ間に合う感じで遠目で1曲だけ鑑賞。ストリングスのいるバンドの演奏を屋外で聞くのは最高なうえに、出演者各位もろもろに挨拶をしているだけでも気分は高揚しっぱなし。
アクトの細かい演奏に耳がいってませんがこのバンドは、も一度キチンと見なくてはいけません。


あと、会場に入ってすぐに気がついたことなのですが、2年前とくらべて音がめちゃめちゃ向上しているのでした。
本イベントの首領・ヤング Voの高梨くんの手腕と、mixiのSEBASTIAN Xコミュの管理人でおなじみの片岡くんの努力が音の粒子にもはっきり現れており、私はとっくに知っていましたがIYFは今年も素晴らしい空間でした。各バンド本番前の音だしを軽くする程度での音響調整だったと思いますがスイートスポットが広くて本当に音がよかったです。白い汽笛の時が一番鳴りが気持ちよかったなー。

というわけで、しっかり見れたバンドの感想など。

 

 

ライブレポート



SEBASTIAN X
メジャー発表という大きなトピックを持ちつつも、なんのことはないヤングがサトウトシオだった時代から響き合っていたマイメンバンド。ヤングの用意した舞台で素晴らしい演奏を繰り広げるに決まっている訳ですが、それにしてもサウンド面での広がりが磨かれたように聞こえました。SEBASTIANXの音楽って例えばこの伊豆の河原がキラキラとした音楽空間に彩られるような瞬間を鳴らしているんだと思うんですよ。それは端的にいえば「イェーイ!」ってコトだと思うし、ただしその誰もが持っている言葉の深みや「イェーイ!」直前の悲しさや、直後にあるかもしれない別れとかもビンビンに感じながら、それでもなおこのワンダフルワールドについてスーダラ決め込んでいるからカッコいいと思ってます。この日のライブで再認識した次第です。河原が似合うぜ。

(平和の象徴となった朝定の海苔は、SEBASTIANXのスタッフAのラーメンに入れました)


フジロッ久(仮)
サウンドチェックにしっかり時間をかけているので、イベントとお客さんに大しての意気込みを感じずにはいられない仕込みにワクワクしてましたが、早い時間からアナーキーインザあらかわブッカマしてて。丁寧なサウンドチェックなんだったんだー!と思わせてからのニューユタカ楽曲の綺麗なハーモニーの連発で、2年間でバンドこんなに変わるんだなー。と、思いつつパーカッションの鳴りもいい形でフジロッ久(仮)に混ざってて新メンバーにウェルカム!と感じました。サイドキックMCである元希くんのまっすぐなメッセージの数々に藤原くんが何度もMCを奪われては照れ笑いを浮かべていましたがなんのその。あんなに楽曲とイベントを呼応させるような言葉は聞いてて気持ちがいいのです。私はフジロッ久(仮)をまだライブハウスで見たことがなくって、ほとんど夕暮れ前の屋外で見ているイメージが定着しているので、今度はライブハウスで見るゾ!

ヤング
ヤングが結婚式でモンパチを演奏していて、地元のニーニーたちが嬉しそうにしている動画をみたことがあって。バンド演奏で地元のつながり以外はバラバラな志向の人達が、音楽でハッピーになれるのは素晴らしいことだなーと思いつつ、でもヤングにモンパチ鳴らさせるなんて寂しいと考えてもいたのが2年前くらい。

しかしこの日はヤングが彼ら自身の楽曲で地元のニーニーたちが口ずさみながらダンス💃ダンスしてて高まりました。

 

まさにこれ!これなんだよー。


この時のヤングの演奏を聴く前に、IYFを実利がないとか考えていた私は間違っていた!こんなもすごくすごく分かりやすい形でのハッピーが発散されていて、それぞれの笑顔を炸裂させるための仕込みとして、彼らは貴重な1年間という人生を掛けているんだ!と。

そして、その賭けを見事に大当たりさせながら、彼らのハイリスクハイリターン勝負で発生させたロハのハッピーをじゃんじゃんバラまきながらパーティーを続けていたのです。
そんな確信に驚きながら痺れながら駆け抜けた演奏時間の最後。五曲目の最終曲「アドベンチャー」を演奏し終えたときに、行政に許可を取っている時間を過ぎてしまっていタイム伊豆オーバー。パーティーは突如終わりを迎えたのでした。


もちろん、開場のみんなもそういった配慮に気がついていることで、ムンムンムラムラした雰囲気の中で。「まぁ、でも楽しかったしさ・・」とヤングの功績をたたえる拍手がチラホラ始まり。

 

 


でも、やっぱりまだ「透明」をやってないんですよ!

「昔からのキラーチューンでもあるけど、ふるい曲だから新曲アドベンチャーに託していく時期なのかもなー」と事情を察することが出来る玄人のフリをした私は我慢してたのですが、でもでもでもでもでも!!!!!

でもでも!


やっぱり「透明」を聞きたい気持ちが俺にあふれまくっていて。フロアの隅っこから思わず最前に移動して「アンコール(もっとやれ!)アンコール(「透明」を聞かせろ!)」と言ったのが先なのか後なのかは分からないけど、その気持ちは私一人ではなく会場でも多くの人が待ち望んでいたことで。

遠慮がちな声やはっきりとした要求をする声や酔っぱらった声など様々なトーンでのアンコールを望む声がぐんぐんとステージ前方に押し寄せまくったときに、Vo高梨君がメンバーに頷きの合図を出す瞬間を私は確かに見たのです。

 

 

すると、全世界の IYF2014参加者が待ち望んでいたあの曲名をエリザベス宮地が唱えたのです

 

「透明!」

 

そして、かき鳴らされたイントロのギターノイズのなかで私の魂が震えました(ぶるぶる)。

 

 

会場全体が透明に飲み込まれている中で、はっきり分かったこと。

私が音楽の傍にいるのは、こんな封に肉体的に、いや霊的にも興奮する瞬間に立ち会うためなのだと改めて気がつきました。

 

 

 


配っても配っても減らずに増えていくハッピーと、鳴らしても鳴らしても鳴り止まない拍手が溢れる瞬間に敬意と感謝を込めて。

 

 

 

 

 


IZU YOUNG FESTIVAL 2014ありがとうございました。