我如古地下放送局

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どうやっておじさん化を受け入れるか問題-おじさん初心者の自問-

いつでもこんばんは、ハイナです。

いきなり本文で恐れ入りますが私は今年で35歳になるので、おじさんとして見られる準備とおじさんとしての振る舞いをどうするかという心構えをしなくてはいけません。

野球をめちゃくちゃ好きなわけではなかったりお酒に目がないわけでもなく、セクハラとは距離を置きたいので一般的なおじさん的(あるいはオヤジ的)にみられる振る舞いを避けてきています。

ただ、この前バンコクで「年の割には若いカッコしてんね」と初めて会った女性に言われたことが残っておりいよいよこの問題について言語化しておかなくてはいけません。

ついこの前も、コザで友人と食事をしていた時に、私たちの周りの40歳前後の男性を
おじさんと非おじさんに振り分ける会話があったのですがそれぞれの定義づけが明確でないにも関わらず、仕分け作業に異論が出ずに意見が一致しまくっていたので「これはなんかルールがあるぞ!」って思いました。

私自身はいつまでも若く見られることについては肯定的ではなくて年相応にみられるほうがよっぽどいいとは思います。若いってだけで舐められて物事がうまく進まない場面は何度も経験しているので、30歳過ぎてからは年齢がネックになることはなくむしろ快適なので加齢についてはまだ辛さを感じてないのですが、おじさんって言われたりする準備は全然できていないという矛盾をぼんやり抱えています。

年長者に見られる特徴として、知識の量が多いこと+様々経験があること→処世術に長けている。というのがありますが、そんなん人それぞれじゃんね?
もの知ってることやそのタフさを褒めるときに「さすがおじさんですね!」とは言わないから、やっぱ否定的なニュアンスが大いに含まれている言葉のはず。

もちろん加齢による、肉体(身体/肌/記憶力)の衰えには抗えないのですが興味を絶やさずに、解像度の高い言葉を選んで会話していきたいと願う無謀な気持ち自体を保っていきたいなー。

 

たぶん私が嫌に思っているのは、おじさんという言葉やラベリングが内包しているだらしなさです。体形のだらしなさや、ロジックの破綻や、コミュニケーションの粗さが見られたときにその人はおじさんとして認識されると仮定しています。若々しさは、その体力や好奇心をバックボーンにグイグイと世界や社会での行動範囲や影響力を広げていくことだとすると、権力や圧力によって可動域を広げることはおじさん的であると思っています。

ここまで、あれこれ書いてもきっとみなのおじさん観が違うだろうし
私が、おじさんになっていくことに抗えない以上。おじさんという言葉の中に自分にとって居心地のいい場所を見つけることが必要なんだけど「やだやだ!おじさんになりたくない!」って頭の中で大暴れなう。


なんで、こんなにおじさんになることに違和感あるんのかな?
おじさんを定義づけて、よしんば自分から遠ざけようとしている時点で無駄な抵抗であることはわかってるんですが、それって精神的にまだ幼稚なのかな?異性からの性的な眼差しを求めているのかな?男性性としての価値の高さを認めてもらい続けて、承認欲求がたっぷたぷに満たされていたいのかな?
私の大好きなユースカルチャーから弾かれてしまうことに対する恐れ?あるいは嫉妬?
色んな自問があり、どれも含まれている気がするけど、立ち向かうほどに具体的なものはないんだよねー。

と、別に結論でるわけではなくって、同い年くらいの人たちどうしているのかを
次あったときに話したいけど、事前に整理&出力しておくことで、議論が捗ればいいなーと願い。このエントリーを公開します。

 

おじさん初心者の自問。

 

おじさんにかぎらず、おばさんというラベリングについてもお話ししたいのですが
私はおばさんとしての当事者意識がないので、傷まない議論もどうかなと思い、おじさんに絞らせていただく次第です。